「力行会の足跡」その3を紹介します。
今回は、カリブ海に浮かぶ国「キューバ」について紹介します。
今回取り上げた調査についても、前回同様に今から33年前、
当時の島貫理事長の命により、各地の力行会員の実態調査が実施し、
その中の第3回の報告がこの記事となります。
通常、キューバに日本人移民がいたと言うことを知る方は余りいないのではないかと思います。
1898年の米西戦争後のプラット修正により、事実上、キューバは米国の植民地に等しい歴史を辿ることとなり、
当時特に、サトウキビ栽培で多くの労働者が必要となり、その流れに日本人も加わったのと、
また、米国大陸への野菜栽培も盛んで、この分野でも日本人がキューバに移民をするきっかけとなりました。
しかしながら、当初の目的は、キューバを足がかりとして、米国本土に移住することが主な目的だったと思われます。
その後は家族を呼び寄せる者や、都市部で商店などを営む者も現れますが、
いかんせん、第2次世界大戦では、日本人移住者及び子弟の男性全員が、キユーバ本島より南に離れた
ピノス島に収容され、終戦後に解放されるも、キューバ革命で私財を失い、
多くの日本人移住者たちがキューバから転出する歴史を辿りました。
しかし、時のカストロ革命政権は日本人移住者の勤勉さや農業技術や漁業技術などを高く評価、
その後、この地に残られた多くの日系移住者たちは、荒廃したキューバの再建に多大なる貢献をされました。
当会会員も当時多くの方々がキューバに移住されており、キューバ革命前までには凡そ20名程度の会員が
この地で暮らしておられました。中でも特筆すべき点は、初代キューバ日本人会の会長・榊原利一氏は力行会員で
特に、第2次世界大戦で強制収容所で収容されていた際、多くの方々を励まし、人々をとりまとめていたことは
今でも有名な史実で、力行会としても「力行精神」を遺憾なく発揮されたことに敬意を評したい出来事です。
(「力行世界・962号 平成2年9月15日号」より抜粋 事務局・田中)