明治30年 (1897) |
1月1日 島貫兵太夫牧師苦学生救済のために家庭(麹町富士見町)を解放し、「東京労働会」を設立。 |
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33年 |
文京区小石川原町に移転し、「日本力行会」と改称。(9月) |
35年 |
石川啄木「力行ホーム」に止宿。 |
38年 |
「日本力行会」文京区駕篭町(現在の本駒込)に移転。 |
41年 |
力行女学校設立。大隈重信候、力行会で渡米する青年に講演。 |
42年 |
バンクーバー力行クラブ結成。サンフランシスコ支部結成される。 南カリフォルニア在住会員百名を超える。 |
43年 |
日米実業学校設立。島貫兵太夫三度目の渡米(リフォームド協会献堂式に出席) 力行会員 全世界に六千人となる。 |
大正元年 (1912) |
石井光次郎(元衆議院議長)力行日米実業学校で教鞭。 |
2年 |
島貫兵太夫は永田 稠に第二代日本力行会長たるべき遺命を送り、鎌倉にて永眠。(9月 享年48歳) |
3年 |
永田 稠・くら夫妻 北米より帰国。(12月) 日本力行会第二代会長に就任。 |
5年 |
本部 小石川林町へ移転。永田 稠、横浜移民講習所設立、所長となる。 |
9年 |
永田 稠 文部省より在外子弟教育の調査の嘱託を受け北米・中南米一巡。 |
11年 |
永田 稠 信濃海外協会を設立し、理事兼幹事となる。日本力行会海外学校設立許可。 |
12年 |
永田 稠 海外協会中央会理事長兼幹事となる。 日本力行海外学校開校。 |
13年 |
永田 稠 アリアンサ移住地建設のため南米へ出発。 ブラジルに力行農業用地250町歩入手。 |
昭和元年 (1926) |
力行南米農業練習所設立。 力行婦人修養所設立。 東京府下上板橋村字小竹(現 練馬区小竹町)に林町から移転。 |
3年 |
渡辺 昭 (昭和天皇陛下学習院初等科ご学友・ボーイスカウト日本連盟総長)ブラジルの第3アリアンサに、200アールの土地を購入し渡辺農場とし、力行会の南米農業練習所としての機能発揮。 |
5年 |
朝鮮拓殖練習所設立。 |
8年 |
日本力行会、文部省より財団法人の認可受く。 |
13年 |
永田 稠 NHKを通じ、南米在留同胞向け激励放送。 新京力行村を開設、移住者の受け入れを始める。 |
14年 |
力行商業学校開設。 |
19年 |
力行商業から力行工業学校に変更。 |
20年 |
福島県白川郡笹原村に力行農場を新設する。 |
21年 |
日本力行会創立五十周年記念式典挙行。 会員長谷川 保 衆議院議員となる。ブラジル力行会総会でサンパウロ学生会館建設を決定。 地域社会の強い要請を受け、力行会創立50周年記念事業として力行幼稚園を創立。 |
23年 |
4Hクラブ運動開始。 |
25年 |
サンパウロ市郊外サンベルナルドに、アルモニア学生寮を完成する。 |
29年 |
力行南米開拓講習所設置。 ブラジル力行会、呼寄組合をつくる。 |
32年 |
サンパウロ市の力行会支部は、ブラジル政府より「法人ブラジル力行会」として承認される。 |
37年 |
力行国際学寮開設。その後「力行女子寮」を新設し、中南米からの女子留学生を受け入れる。 |
39年 |
会員 清水一郎、ブラジル・グァラサイに新生農場を創設する。 |
48年 |
永田 稠 召天す(享年91歳)正五位勲三等の叙勲を受く。永田 泉、理事長に就任。 |
54年 |
留学生のための宿舎、力行会館開設。 |
57年 |
会員 西村俊治 ブラジル・ポンペイア市に農工学校を創立。 |
59年 |
(財)日本力行会本館落成。 |
61年 |
日本力行会創立90周年記念祝賀会挙行。ブラジル力行会(70周年)記念訪日団、来日 。 |
平成9年(1997) |
力行幼稚園創立50周年記念式典・祝賀会及び 日本力行会創立100周年記念式典・祝賀会挙行。 |
18年 |
11月3日文化の日 力行会創立110周年記念式典及び力行幼稚園創立60周年記念式典開催。 |
26年4月 |
一般財団法人へ移行 |
26年12月 |
学校法人へ移行(「力行幼稚園」を「りっこう幼稚園」に改名) |
28年3月 |
りっこう幼稚園新園舎完成 |
29年9月 |
ブラジル力行会創立100周年記念式典開催、日本より訪伯団14名参加 |
30年4月 |
「りっこう学童クラブ」開設 |